50代の母が視神経脊髄炎の再発で入院することになりました。
カルテの記録によれば10回めの再発だそうですが、半身麻痺の症状が出たのは今回が初めてでした。
これまでは薬の服用やステロイドパルス療法で状態が緩和していたのですが、今回は2クール行っても全く改善する気配が無いばかりか悪化の一途でした。
2週間前には歩けていた母の様子の変化を側で見ていた娘(私)の方が現実を受け止め切れなくて何度も泣きわめきたい衝動にかられました。
ですが、当の本人である母は視神経脊髄炎から回復し歩けるようになるのだと自ら次の治療法についてドクターに打診するほど治ろうと前向きなのです。
難病に負けまいと気丈に振る舞っているのではと心配したのですが、本当にあきらめていない母の様子に私も何があって見守っていようという気持ちが芽生えました。
視神経脊髄炎とは?原因と症状
視神経脊髄炎は国の難病に指定されている病気の一つです。
以前は多発性硬化症の一種と考えられていたため、両方の名称が合わせて記載されている場合もあります。
神経を保護するカバーのような部分(髄鞘)が壊れたり、変形してしまうことが原因で神経がむき出し状態となり症状が出ます。
視神経脊髄炎の場合には名称の通り、視神経や脊髄に炎症反応が見られるのが特徴です。
血液検査で抗体を調べることも可能ですが、必ずしも陽性反応がでるとも限らず、炎症の部位や症状は個人によって様々です。
実際に私の母はMRIなど画像検査では炎症が白い影として確認できるものの、抗体検査は陰性でした。
母が半身麻痺に至るまでの2週間
5月下旬に入った頃、母から手足がしびれて眠れないとメールが届きました。
難病をはじめ複数の持病を持つ母なので、すぐに病院を受診。
診察と検査の結果、視神経脊髄炎の再発と診断されました。
担当医師の経験上、多くの患者さんで効果的とのことでステロイドパルス療法を通院で受けました。
しかし、状態は変わるどころかしびれは強くなり寝返りもできないほど痛いと本人が話すようになりました。
そろそろ症状のピークを迎えて、収まってくると説明を受けつつ2クール目を試すも一向に良くならず6月に入る頃についに半身麻痺になりました。
長く勤めている医師、看護師の皆さんでも経験の無い症状のようで、今後どうするか具体的な提案も無いまま数日が経過。
次の受診のタイミングで母の方から血漿交換を試してみたいと希望し、脳神経外科のある大きな病院に入院することになりました。
娘の私ができることって何だろう?
母が体調不良を訴えて入院するまで約2週間。
本当にあっという間のことで、娘の私としては母のあまりの変化に心が折れかけました。
それでも、「また歩けるようになるんだ」と語る母の言葉と態度に私が弱気な姿を見せて心配させてはいけないと笑顔を心がけました。
どうしてそんなに前向きでいられるのが不思議だったのですが、母の言葉を聞いているとその理由がわかったような気がします。
「また歩けるようになって娘のところに行かないと」
「少しでも娘を手伝ってあげられるようになりたい」
母は私と妹という二人の我が娘のためにと懸命だったのです。
気づいたとき、流石に泣くのを堪えきれなくて自宅に戻って泣きました。
夫に胸のうちにある不安と母を支えたい気持ちとを吐き出し、ようやく私も「何があっても見守っていよう」、「母の原動力になれるように笑っていよう」、と心が定まってきました。
大切な人の闘病生活を見守っている人へ
病気になってしまった本人にしか分からない大変さ辛さがあるように、見守ることしかできない本人以外の人にもそれぞれの大変さ辛さがあると思います。
お見舞い、介助、言葉かけ、笑顔などサポートの方法はたくさんありますが、時にはあなたの本音を出して息抜きをしてくださいね。
私は夫に話をしたり、時には母本人に「ねむい」、「どのタイミングで面会に行けるか迷った」などと正直な気持ちを織り交ぜて話すことで我慢し過ぎないようにしています。
自宅での介護と違って、入院中はスタッフさんを頼ることもできます。
今、できることだけで大丈夫です。
いつか過去の出来事として振り返る時に少しでも後悔しないでいられるように、自分が何をしたいか、どんな気持ちでいたいか考えてみてください。
1つでも自分の中でみつけられると気持ちに軸が生まれて、心の動揺が落ち着いてきますよ。