10月後半に入って吐き気を感じる日が出てきました。
仕事の量は夏からセーブしているし、ストレスや栄養の偏りなど特にこれといって思い当たる原因もないのでしばらく様子見。
1週間が過ぎても状態が改善しないばかりか、吐き気は強くなるばかりで外出や家事も辛い程になってしまいました。
ある日、用事があって小児科を訪れた際に小さな赤ちゃんを見て
「もしや私って妊娠してる?」
ふとそんな疑問が浮かびました。
帰り道、そのままドラッグストアで妊娠検査薬を購入。
市販されている中では検出の精度が高い「クリアブルー」を使ってみることにしました。
妊娠検査薬まさかの陽性でした
帰宅してどきどきしながら妊娠検査薬を持ってトイレへ。
だいたいの妊娠検査薬は生理予定日の1週間後からの使用するように書いてありますが、この時の私は結構なフライング。
整理予定日ちょうどくらいのタイミングでした。
結果は・・・
まさかの陽性!!
ちょっと、いやかなり間抜けなことに判定窓を真剣に見つめていたつもりが、私が見ていたのは検査終了の窓だったと後で気づきました(笑)
よっぽど焦っていたのか、真剣だけど空振り状態。
肝心の判定窓には先に縦線が入っていたというのに、まだかまだかと終了窓ばかり見つめてしまってました。
妊娠に驚き過ぎて泣きました
「えっ!えっ!えええ~っ!!!!!」
検査薬が陽性だと気づいてからの慌てようがまた酷かった。
驚き過ぎて頭の中がパニック状態。
目からは涙が止まらず、台所で立ち尽くしたまま泣きました。
それから仕事中の夫に連絡。
そこでやっと気持ちがちょっとだけ落ち着きました。
無理だと半分以上あきらめていた第三子
実は第三子の妊娠はほぼ無理だろうとあきらめの気持ちがありました。
既に上二人の子どもたちは小学生。
最後の出産から7年も過ぎていることに加え、体質上25歳以降の妊娠は難しいだろうと10代の頃から婦人科の先生に言われていたのです。
二人目の時点で年齢的にギリギリ。
1年過ぎて妊娠しなかったら不妊治療専門院を受診することにしていたら、その前日に妊娠していることが分かったので、その時もそんなことあるのかとびっくりしたんです。
だから三人目は無理だろうし、二人も授かったのだからもう十分と感じていました。
どうして今、三人目を産もうと決めたのか?
それは二人の子どもたちの言葉と、一番上の子について以前小児科の先生に言われた一言が頭から離れなかったからです。
実は一番上の子は5歳の頃に発達障害であることが分かりました。
赤ちゃんの頃からお世話になっている先生からは
「他の人よりも覚えるのに時間がかかるかも知れない。それでも根気強く一緒に繰り返していくことが大事だよ」
そんな言葉をいただきました。
それと同時に
「大きくなったとき、善悪や倫理観の判断がしにくいかも知れない。例えば好きな相手ができたとして、衝動的に抱きついたりしてしまうようなこともある。」
とも言われました。
この言葉がずっと私の頭から離れませんでした。
それから小学生になった子どもたちが最近になって、「自分たちが赤ちゃんの頃どうだった?」というような疑問をよく口にするようになりました。
こうだったよ。ああだったよ。
伝えるうちに、『今、もう一人産むことができたら、この子たちに命が育っていく所を見せてあげられるかもしれない』と思うようになりました。
一番上の子については小児科の先生の言葉から、もし将来好きな人ができて無理やり妊娠させてしまうようなことが起こったらどうしようという不安がずっとあったので、その意味でも命の尊さを伝えられるかも知れないという希望がどんどん私の中で膨らんでいきました。
夫に相談したところ、私の気持ちを理解してくれました。
体質的に妊娠できるか分からない。それでもダメ元でもやってみよう。
そうして望んだ三人目の赤ちゃんだったのです。
嬉しさ半分、不安も半分のマタニティ生活はじまります
無理だと思っていた赤ちゃんだけに嬉しさは大きいですが、なにせ7年ぶりの妊娠なのでもう何をどうしていたのか記憶があやうくなっています。
ちゃんと心身ともに健康な赤ちゃんが産めるかな?
と不安な気持ちもとても大きいです。
だけど、家族みんなで支え合って人生で最後になるマタニティ生活を過ごしたいと思います。